初めて入る自分の住まい
時系列で書くツモリが、順番が入れ替わってしまったので、ざっくりと流れを整理してみる。
マニラでお勤めしていた私だけども、色々あって退職することに。
この辺については、またいつか機会があれば詳細を記載する。
このブログがスタートするのは、ステイインしていた職場を飛び出した後から。
職場を辞めた私が向かった先は、マカティのレッドドアというチェーン店のゲストハウス。
ヒョンな事から知り合いになったロシア人女性が泊まっているゲストハウスに私が転がり込む。
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その後、日本在住時代の元奥さんが、日本からフィリピンに遊びに来た。
約10日ほどバケーションを楽しんだ後、仕事も、寝泊まりする場所も、やる事も、カネも無い私は、渋々と現在のフィリピン人妻が住むケソン州インファンタに向かう事にする。
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ここまでが、ざっくりとした流れ。
さて、インファンタに戻り、現在の奥さんと暮らす事になった。
住まいは借家。
奥さんの母親の2件隣、親戚の人の家で使っていない家をお借りしている。
この借家には、私は初めて寝泊まりする。
私がマニラで仕事をしている間に、引っ越しをして移った場所だからだ。
家の中をジロジロと見る。
なぜなら、家のエントランスは、サリサリストアになっていて、日用品がたっぷり置いてあるからだ。
こんなに売り物を充実させて…。
私はサリサリストアが好きじゃない。
客として利用する分には良いのだけど、それを営むのは大反対だ。
店をやっている本人は、客が来る度に、ホラまたお客さん来たでしょ?
みたいな、まんざらでも無い顔をしている。
その顔が、私の心をイラつかせる。
そもそもというか、根本的な部分で、考え方が違うので、夫婦なのに話しをする事が出来ない。
だって、星の数ほどフィリピンには、サリサリストアがある。
だけども、そのサリサリストアで、財を築いて、豪邸を建てたなんて話しを聞いた事が無い。
まぁ、そこまで儲からないにしても、利益を出せる商売じゃない。
無駄に在庫を抱えるだけの商売だ。
仮に1000ペソの売り上げがあって、利益は100ペソから200ペソくらいなもの。
そこから仕入れに行く交通費を差し引いて、一体いくらになるというのだろう。
仮にで、1000ペソの売り上げで計算したけど、その半分も売り上げは無い。
1日に50ペソも儲かっていないのに、1日拘束され、在庫を抱えるリスクを抱え、子供達に万引きされるリスクを抱える。
入ってきたお金は、また在庫を増やす為の仕入れ代に消えていく。
奥さんに話してあげる。
「あのね、サリサリストアは、あなたのお母さんみたいな年齢の人がやる商売で、まだあなた若いんだから、サリサリストア頑張るのやめなさい」
久しぶりに戻ってきたと思ったら、ケチをつけられたのが腹立たしいのかゴニョゴニョ言い返してくる。
「私はもう若くないし、あなただって私をマタンダと言っているし、ここの地域では仕事無いし、ヒマだから何をすれば良いのか分からないし…」
そういう事なのだ。
仕事が無い奴にとって、まるで仕事している気分にさせてくれる商売。
それがサリサリストアだ。
意外にも客が来るから、コミュニティの中で自分の必要性を感じられるし、利益がある様な錯覚を起こす。
そして、私にとって在庫は、カネになっていない段階ではゴミでしか無いのだけど、彼女にとっては財産である。
あまりにサリサリストアの販売商品が充実していたので、ついケチをつけてしまったのだけど、私も全く知らなかったわけじゃない。
話しが少し変わるけど…
私はこのインファンタという町で食堂を営んでいたのだけど、利益を出す事が出来ず、結果的に店を畳んだ。
収入を確保する為に、私はマニラに仕事に出た。
カネが無かったのは事実だし、日本人の私が仕事をした方がサラリーが高いのだけど、それ以上に奥さんと離れて暮らしたかった。
だから、カネが無いから、稼ぐ為に仕事に行ってくるという大義名分のもと、奥さんから離れられて嬉しかった。
奥さんの事が大嫌いとか、憎いとか、そういうので離れたかったわけじゃない。
奥さんに助けてもらう事なく、奥さんに邪魔される事なく、フィリピンで生活してみたかった。
純粋にそれだけ。
でも、それを奥さん本人に話してしまうと、「あなたは私を嫌いになったんだ」とか、そういう話しになってしまう。
そういう面倒な話しにならず、正々堂々と奥さんと離れた別世界で生きれる自由を手に入れる事が出来て、すごく嬉しかった。
私はフィリピンで、何人も日本人の方とお会いした。
その中には、結構な数で、打ち出の小槌化しているペットみたいな日本人がいた。
どういう事かと言うと、まず英語もタガログ語も話せない。
浮気されるのが心配で、奥さんに覚えなくて良いと言われているとか。
フィリピンに長く暮らしているのに、タバコ1つ自分で買えない。会話するのは奥さんだけ。
通訳は当然奥さんだから、奥さんに都合の良い通訳をされても、気づく事も出来ない。
だけども、カネの出どころだけは、籠の中の鳥状態になっている日本人だったりする。
当の本人が、それを望んでいるのならば、全く問題ない。
ただ、私は、そんな娑婆なのに監獄状態にはなりたくない。
だけども、フィリピン人女性は、自分がいなければ相手が生きていけない状態にしようとする傾向にある。
実際、私のフィリピン人妻も、いつでも、どこでも付いて来ようとするし、付いてきたら私を差し置いて全ての交渉を担当しようとする。
でも、それでは、私は奥さん以外の人と話す機会が得られないし、何も覚える事が出来ないし、何の経験値も得ない。
ただのボンクラが出来上がるだけ。
私は色々なフィリピン人と話したいし、色々な交渉をしてみたいし、色々と知りたいし、色々と経験をしたい。
日本人がフィリピンについて言っている事や書いている事が、本当なのか確かめたい。
その為には、シャシャリ出てきて、言葉の不自由な外国人を助けるという大義名分のもと、私の知的好奇心の欲求を妨げる奥さんと離れたかったというわけだ。
そして、もう1つ。
私は日本から犬を連れて移住してきた。
犬は老犬で、老い先短いのは明白だった。
私は、犬にストレスをかけたくないので、長距離移動の必要な引っ越しを味合わせたくなかった。
犬の面倒を奥さんに見てもらいたかった。
私の事など気にしなくて良いから、犬の事を気にしてほしかった。
犬の寿命が尽きるまでは、奥さんには仕事をして欲しくなかった。
だから、インファンタという田舎の、町外れにあるバランガイに奥さんを閉じ込めておく為に、サリサリストアをしていたのは承知していたのだけど、何もクチを出さないでいた。
だけど、もう犬はいなくなった。
私が初めてフィリピンに訪れた2016年の10月末、私は飼っていた3頭の犬もフィリピンに連れてきた。
連れてきた犬達は、みんな15年以上の長生きをしてくれたけど、今年の1月22日に最後の一頭になったワンちゃんも亡くなった。
初めて飼ったワンちゃんは、私が26歳の時。
当時一緒に暮らしていたオンナが、私が仕事で留守にしている時間が長いからという理由で買われた。
私は犬には興味も関心も無かった。
そこから1年もしない内に最大4頭に増えた。
犬を買ったオンナは、犬を捨てて出ていった。
そかから、一緒に暮らすオンナが変わったり、住む場所も変わったけど、犬はずっと一緒だった。
最後は住む国まで変わったけども、一緒についてきてもらった。
私は今年の誕生日に45歳になった。
約20年いつだって一緒にいた犬は、一頭もいなくなっていた。
犬の為に働きに出てた部分もあった。
だから、犬が死んだのを機に、仕事を辞めるのを考え出し、3月末で職場を離れた。
犬の面倒を見てもらう為に、インファンタの田舎に奥さんを縛りつけておく為に、サリサリストアするのを目をつぶっていたけど、もう犬はいない。
だから、犬がいなくなった後も、ノンキにサリサリストアなんかをやっているのを見て、ついケチをつけてしまった。
私は不思議な事に、犬に対する様な愛情を人間には抱けない。
犬の事を考えながら、こうして記事を書いているだけで、涙がドロドロと溢れ出てしまうのだけど、犬を最後まで面倒見てもらった奥さんには、犬の面倒を見てもらったという義理以上の何かを感じない。
犬の面倒を見てもらって、ちゃんとドッグフードを与えてほしかったので、私が働いて稼いだカネの7割ほどを奥さんには渡していた。
でも、もういいだろう。
私が奥さんにカネをあげる理由が無い。
犬が死んだ後も数ヶ月、犬が生きている時と同じ様にカネを渡していたのだ。
そのカネの使い途は、私は関知しない。
だけども、初めてインファンタの借家に顔を出し、私のあげていたカネの使われ方を目の当たりにした。
私の給料は、この店に並ぶ洗濯洗剤や缶詰になっているというわけだ。
特別な感情をさほど抱いていないのにフィリピン人の奥さんをもらった理由。
犬の世話のほかにもう1つ、大きな役割が残っている。
ビザのチェンジ。
これだけは、どうにかしたい。
カネも無いのに、観光ビザの延長代なんて、払っていられない。
そもそも、ビザが必要ないなら、子供を作ったわけでも無いのだから、結婚する理由は存在しない。
私はフィリピンに居続けたいし、自由に仕事もしたい。
それを叶える為に、私は私を売ったわけだ。
いや、少額とは言え、カネという付加価値まで付け加えて、買って頂いたのだ。
時間とカネをかけて、ビザを得る為に準備してきた。
だから、サリサリストアの事なんかで、ケンカするわけにもいかない。
相手側である奥さんがどう思っているかは知らないけど、私にとってはビザ獲得目的の完全なるイミテーション結婚。
ただ、この時期、フィリピンはホーリーウィーク。
役所なんて動いていない。
ビザ切り替えの手続きなんて、何一つできやしない。
だから、頭を切り替える。
私は半年以上、仕事で奥さんと離れていた。
つい先日、日本からやってきた元奥さんとは、散々バケーションを楽しんだわけだが、現在の妻に何もしてやらないというのは、ちょっと可哀想な気がする。
わたし : バカッション タヨ(バケーションしようぜ!)
奥さん : ha?
そんな感じで、まるで新婚旅行の様に、バケーションする事を提案する私だった。